凡人が天才型の脳を手に入れる、唯一の方法…桜花・宮口式記憶術
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記憶術の秘密
狙った試験を確実に突破する人とは…?
最終学歴は東京大学、大学院卒。一般的に言えば高学歴と言われますが、私は高校生 当時、偏差値41の「超凡人」でした。
しかし私は独自に編み出した、ある「超難関試験対策メソッド」 により高校1年11月時点で偏差値41だったにも関わらず 在籍していた高校で20年ぶりの東京大学合格者となることができたのです。
あなたが読むこの手紙にはその秘密、「凡人が天才レベルの脳を手にする唯一の方法」が書かれています。
そしてそれを知れば「今のあなたにとって」は大きな壁に思えるだろう試験が 簡単に乗り越えられる問題に見えてしまうでしょう。
さあ、桜咲く合格の花道を進む自分を想像しながら読み進めてください…
根性型勉強法を卒業し、ライバルに圧倒的差をつけたいあなたへ・・・
おそらくあなたは受験生活の貴重な時間を削ってこの手紙を読んでくれているのでしょう。
あなたに無駄な時間をとらせるつもりはありませんのでいきなりですが一つ質問します。
試験に合格したいですか?
YESなら今すぐノートと参考書を閉じ、携帯の電源を切りこの手紙を読むことに集中してください。逆に答えがNo、もしくはあいまいなら今は読まなくて良いかもしれません。ここからはあなたがYES派であるとして話していきます。
あなたは現在まで、こんな勉強を続けていませんか?
- 毎日、栄養ドリンク・刺激系ガム・冷たい水で洗顔etc を使いながら睡眠時間を削り、効果の実感のない暗記学習を続けている
- 「周りのみんなが通っているから、CMにも出演している有名な講師がいるから」でライバルであるはずの他の受験生と全く同じプログラムで勉強を続けている
- トップクラスと評判の高い家庭教師を高額な月謝で雇い、マンツーマン体制で勉強している
良く言われる「受験生の王道」がこれら3つです。誰でも一度は通る道です。
そして99%の受験生がこの学習スタイルに固執し、同じスタイルで勉強している全国の受験生達と難関試験合格という「狭き門」の椅子取りゲームを続けているのです。何千人、何万人という数がほとんど同じ学習スタイルで勉強しているのですからその闘いは壮絶を極めます。最初から頭が良かったか、人の3倍以上努力ができる人でなければ頭一歩抜け出すことは難しいでしょう。
これがよく言われる「受験競争」の実態だと私は思っています。しかし、そんな受験競争とは一線を画しどんな難関な試験でも突破できてしまう「1%の受験生」という人たちがいます。
世の中ではそういった人を「秀才」や「天才」と呼びます。彼らは普通の人と何が違うのでしょうか?私は今50歳ですが30年以上前から「凡人」と「天才」の違いについて研究し続けてきました。
そして私が確信した違いとは、脳の使い方です。
これが天才を天才たらしめ、凡人をいつまでも凡人のままにし続けている唯一の理由だということを確信しました。そして凡人が「天才に負けない脳」になる方法も知りました。今、凡人でも短期間で天才と呼ばれるほどの脳を作ることができるのです。この手紙にはその方法の全てを書きました。
あなたは読み終える頃には、今のあなたにとってライバルと呼べる人を、圧倒的スピードで追い越し、成績を上達させ合格率を劇的にアップさせることのできる「記憶術の秘密」を知ることになるでしょう。
>> 記憶術の秘密を知った私の生徒さんから頂いたメッセージは、こちらです。
偏差値41の凡人高校生
「高校時代の私」にタイムスリップし、当時起きた出来事を全てお話したいと思います。
これを読めば記憶術をマスターした後にあなたが暮らす世界のほんの一部分を体験することができるでしょう。
全くの無名校に入学そして刀鍛冶屋という家庭環境
今から30年以上前、私の実家は江戸時代から代々伝わる骨董品を修復する(刀鍛冶)業を営んでいました。
今の時代には信じられないと思いますが、私は振りかざせば人間の首が簡単に落ちてしまうほどの切れ味を持つ日本刀が家のあちこちにある家庭で育ちました。
物心ついた時から私は父親の仕事に魅了され、中学2年の頃にはすでに刀鍛冶を自分の一生の仕事にしようと決めていたのです。
そんな中学生でしたから、当然勉強は二の次、三の次くらい。遊び呆けて高校はなんとか当時の学力でいけるギリギリの高校に入りました。
すでに時代遅れだった…
高1の時、同じクラスにTという奴がいました。
入学式から馴れ馴れしく話しかけられ、最初は気持ち悪いやつだと思っていたのですが2週間くらい経つといつも一緒にいる一番の友達になっていたのです。
ある日…、あれは体育館の通路で缶蹴りをやっている時です。
「宮口君の家、刀鍛冶なんでしょ? 今どき凄いね、はじめて聞いたよ、そんな仕事。」
Tにいきなりこんなことを言われ困惑しました。
え、どういうこと?刀鍛冶って珍しいの? と。
Tは外科医の息子でした。医者の息子なら頭の良い進学校に行けばいいだろうと思っていたのですが、いずれは父親の経営する病院の後継ぎが決まっているため、どの高校に入ろうがどの大学に入ろうが関係ないらしく家から近い無名校に入ってきたというのです。
ですが、私はちっともうらやましいとは感じませんでした。
父親の刀鍛冶業はそれほど当時の私にとって憧れの職業だったのです。
家業は火の車、崩壊寸前…
しかし、なんだかわからないですがTの言葉で私は不安になりました。
今まで刀鍛冶という家業になんの不安も疑問もなかったのに、あんなリアクションをされ、いてもたってもいられなくなりました。
その日の夕方、家に帰り私は父親に言いました…
「お父さん、俺この仕事継ぐからね!卒業したらいろいろ教えてね!」
・・・・・
十秒間ほど、父は無言でした。
そして私にこう言いました。
「公寿、居間で話そうか…?」
仕事場から居間へは1分足らずで着きますが、その時私は通りすがりの人に心音が聞こえてしまうのではないかと言うぐらいドキドキしていたのを今でも鮮明に覚えています。
居間で正面に向き合って座り、父親はまず私にこう言ったのです…
うちの仕事な、あと1〜2年でやめようと思っているんだ。
「……え?」
私は耳を疑いました。
しかし、父親は私に今まで隠していたことを全て話し始めました。
数年前から業績が右肩下がりになって家計を圧迫していること、私が高校卒業する頃まで続けている自信は全くないことなど。
中学生時点でそんなことを話しても何も良いことはないと母親と相談し今まで隠していたと言われました。(それは親の愛情で今でも感謝しています)
大人になってからわかりましたが、あの時代の刀鍛冶業というのは平成21年の今、需要が全くないポケベルを売っているようなものだったのです。
当時の父親の判断は間違ってはいませんでした。
ですが、当時の私は冷静ではいられませんでした。そして会話をしていく中で父にこう言われました。
私: え!?じゃ俺の将来どうなるの!?
お父さんの仕事継ぐって決めてたの知ってたでしょ!?
父: お前にはすまないと思う。
でもな、俺も母さんもお前がこの仕事を継ぐことは望んでいない
私: じゃ、どうすればいいの???
父: 公寿、お前は大学に行くんだ
自分の未来を切り開くには・・・
話の最後に父親から「公寿、ごめんな・・・」 と言われました。
父があの時最後に言った一言は30年経った今でも忘れることはできません。
話の翌日、私は無理やり気持ちを切り替えるよう努力しました。そうしなければ、未来への不安に押しつぶされそうになってしまうからです。
私に残された道は大学進学以外ありませんでした。
当時は、ベンチャー企業などの風習もなく高卒ではまともな仕事につけない時代です。
学歴が全て。学歴のない人間はどんな才能を持っていても社会のゴミ扱い… そんな「不条理な時代」だったのです。
果てしなく険しい大学進学への道…
目の前は真っ暗でした。中学時代から家業を継ぐと決めていてまともな勉強をしたことがなかった私は何から手をつけていいのかすらわからなかったのです。
周りには父親の社会的地位が高い人もいて、将来を約束された友達も何人かいました。
人生を軌道修正しなければならなくなった当時の私はそんな彼らをうらやましく、また正直憎んでしまったこともあります。
とにかく、まずは大学というものを知ろうと思い学力レベルが高く就職にも強いトップレベルの大学を探そうと本屋へ立ち寄りました。(知識不足すぎてそんなことも知らなかったのです)
様々な本を読み漁り、「優秀」と出てくる大学、就職に強いと言われる大学は東京都内では3つ。それが
慶応・早稲田そして・・・東京大学でした。
この高校に入ったこと自体が大きな誤算だよ。
この3校に照準を絞りました。まずは私の高校がどのくらいの合格者を出しているのかを担任の先生に聞きました。
現実は私が想像した以上に絶望的でした。
現役生400人と浪人生合わせても慶応・早稲田の合格者は毎年2人が最高(合格者0の年もある)。
東京大学には過去20年間、誰一人として合格者がいないということだったのです…
地獄に突き落とされた気分でしたが、さらに担任の先生から紹介された一つ上で一番優秀な先輩から言われた言葉で、私の心は折れる寸前になりました…
僕は自分の学年では一番頭がいいと思っているけど、それはこの学校だからなんだ。たぶん灘や開成に行ったら僕は平均以下レベル。早慶すら目指していないんだからさ。
はっきり言っておくけど、東大なんて目指すのはやめたほうがいいよ。この高校に入学したこと自体が間違いだし、そんなこと言ってたら友達なくすだけじゃすまないと思うよ…
先輩のこの言葉で私の中にかすかにあった根拠のない自信までも消された気分でした。
しかし立ち止まっていてはいられない。その日から自分なりに必死に勉強をしはじめ奇跡を期待し始めていたのです。

